オープニング・パーティー
■19時より海老原優×原田賢幸「円周率と最大公約数」展のアーティスト・トークを行います。
日時:2009年2月28日(土)18:00〜22:00
会場:Otto Mainzheim Gallery(アクセス)
入場料:無料(予約不要)
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海老原優×原田賢幸「円周率と最大公約数」
アーティスト・トーク
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長内:まず自己紹介をさせて頂きます。今回の展覧会の企画をさせて頂きました長内と申します。宜しく御願い致します。
扇風機の作品、はしごを登った上にある作品、音を聴きながら覗き穴から見る部屋の作品が原田さんの作品で、こちらの映像作品2点が海老原さんの作品です。
今回のお二人は実は全く面識がなくて、私が御見合いのようにお二人をセレクトさせて頂いて今回の展覧会を企画させて頂きました。海老原さんは去年芸大の院をご卒業されて、ギャラリー等で活動されています。先月開催されていた文化庁メディア芸術祭で奨励賞を受賞されました。原田さんは今年武蔵野美術大学を卒業予定で、学外での展覧会は今回が初めてになります。
皆様ご覧になっておわかりと思いますが、ここはホワイトキューブではないので作家としては使いづらいと思われるかもしれませんが、お二人ともこの環境を面白がって使って頂いて、制作してくれました。
では、お二人から作品をご紹介して頂けますか?
原田:扇風機の作品は、扇風機にスピーカーが接続されていて、梁の手前にセンサーが設置されていて、センサーを横切ると音が出る仕組みです。その音は、ドレミファソラシドの音階を一音ずつ別々に録音したものが和音になって聞こえるようになっています。
長内:和音に聞こえないんですけど、音階が間違っているとかはないですか?
原田:昔合唱団に入っていたので、覚えはあるのですが(笑)
長内:これは元々扇風機に向かって「あー」って言った状況に着想を得て制作されたのですか?
原田:きっかけは、去年の夏、深夜2時くらいに自分で不意にやってみて、小さい子供が面白いからとか楽しいからでやってみるというのはわかるのですが、自分がこの年になってやるというのは一体何だろうと思って。自分が納得する装置みたいなものを製作してみたいなと思っていて、そこから発展して、今回の作品になりました。
はしごの上の作品は、はしごを登ると換気扇がありますが、動く換気扇と連動した作品を作ろうと思って実際に来てみたら、換気扇が動かないとわかって、そのアイディアが使えなくなってしまいました。でもその動かないということが気になりだしたので、逆に動かないということを使って何か作品が出来ないかなと思って、現地で撮った作品です。
もうひとつのインスタレーションの作品は、我が家の実情を表した作品です。母に収集癖があって、物を捨てられないのですが、ただ捨てられないだけではなくて、服やふとんをたたんでゴミ袋につめて、部屋の隅にどんどん積んでいくシステムで収集していて。それがある程度たまると、今度はホコリよけや日焼け防止のために布をかけるんです。それでは部屋が狭くなってしまうし、見た目も美しくないのでやめてほしいと思って何度か母に話したのですが聞き入れないので、一度形にして客観的に見てもらおうと思って製作しました。
長内:ということは、これはお母様のために作った?
原田:はい、これは母のために作りました。
長内:今日お母様はいらっしゃってますか?
原田:いえ、ただ、会期中には来ると思います。
長内:じゃあ、作品をご覧になった様子も撮影してみるとおもしろいかもしれませんね。海老原さんの作品はどうですか?
海老原:「breather」と「Kevin」という作品2点です。どちらも先にArt Jam Contemporaryというギャラリーで展示したものです。学生の頃から、廃校になった小学校とか昔工場だったところだとか、ちょっと変わった場所で展示することが多く、その場からインスピレーションを受けて作品を制作してきたことがほとんどなのですが、その時は不慣れなホワイトキューブでの展示ということで、その場所性をどう扱ったら面白くなるかを考えていました。
それで、少し話が遡るのですが、Art Jamでの展示のひとつ前に、Art Award Tokyoというアートイベントに参加しました。そこでは、いつも映像を作る下準備として描くドローイングをモザイクのように張り合わせて1枚にし、それをショーケースのような展示ブースに吊り下げる形で展示をしました。内面に日々蓄積されるイメージを、あえてテーマをしぼらず、お弁当箱の中身を見せるように展開させてみる、という試みでした。その展示の次の展開として、そのときの平面作品を映像化して時間軸を与え、ショーケースから今度はホワイトキューブに展開させてみようと思い、制作したのがこのbreatherという作品です。もうひとつの「Kevin」という作品は、平日の昼間、公園でベンチに腰掛けてぼーっと辺りの様子を見ていたときに、隣のベンチにいたおじさんが、所在なげに何かをぶつぶつ話しだしたというエピソードが制作のきっかけです。日常を傍観することから得られたイメージを再構成してできた映像に、そのおじさんの存在を象徴的に表すような作品を添えたいと思い制作しました。友人のKevinにインタビューをして、その映像を見ながらアニメーションをおこしていきました。
長内:樽の上にある「Kevin」の別バージョンの作品では、Kevinの顔の他に、途中で様々な風景等が挿入されていますが、一見彼の言葉とは関係がないと思われるのですが?
海老原:はい。もうひとつの小さな画面の映像作品はKevinの質問に対する返答が案外面白くて、もう少し掘り下げてみたくなったので、彼の発言の中から言葉をいくつかランダムに選んで、インターネットで画像検索をかけて、その中から気になる画像をピックアップして差し込んであります。Kevinの記憶の中から選び出された言葉が、誰かがアップロードした画像に変換されて、またそれを自分が選ぶことによって自分の価値観が介入してゆくという、その関係性が面白いと思って映像化しました。
原田:Kevinの絵は映像をトレースしながら描いてるのですか?
海老原:ビデオで撮影したインタビュー映像を一時停止して、トレースしながら描いています。
長内:今回、原画も展示していますが、トレーシングペーパーに描いているので映像になった時にも周りがしわしわっとなっていて面白いのですが、海老原さんは元々油絵学科で絵を描かれていたと思うのですが、途中から動画を作り始めたきっかけを教えて下さい。
海老原:大学で絵を描いていると、当然、テーマとかコンセプトとかを聞かれることがよくあり、聞かれる度に困っていたような時期に、図書館で「幾何学大事典」という本に出会いました。イメージを知覚、図式化することに関する基本的な知識が書いてある分厚い本なのですが、そこに載っていた、縦横奥行きの3次元に時間軸を加えた4次元を図式化する方法に目が止まりました。当時、自分にあった表現形態を探すために、描いたものを立体におこしたり、立体を平面空間におとしこんだりしてみる中で、そこにどうしても介入してくる時間という要素に関心をもっていたので、その内容はとっても魅力的でした。そこから、4次元空間を2次元に落とし込むということに興味がわき、そこを念頭において平面作品を作るようになりました。そうしていくうちに、目の前に立体的に見えているものを、平面上におとしこみ、さらにそれを積み重ねていく事で時間軸を与えていくというアニメーションの手法に興味をもち、一度試しに作ってみたところ、その手法や出来上がったものが自分にとってしっくり来る感じがしたので、しばらくその方法で制作をしていこうと考えるようになりました。ただ、映像を作っていても、あくまで平面作品の魅力を追いかけたいという気持ちがあります。単純な形態でありながら、自分と自分がいるその空間ごとその中に引き込まれるような、または包み込んでしまうような感覚を得られるところが平面作品の魅力と思っており、よりその魅力に近いものを持った作品を作りたいと思っています。
長内:写真とかは使ってないですよね?
海老原:手で描いてます。
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長内:ありがとうございます。さて、今回の展示の解説文を見て頂いてお気づきかと思いますが、原田さんと海老原さんの作品のタイトル文字量がかなり違います。原田さんの作品のタイトルが長くて、会話とか文章のワンフレーズみたいになっているのですが、これはどうしてこのようなタイトルになったのかという話をお聞きしたいと思います。今までの作品のファイルを見ても、やはりタイトルが長いですよね。
原田:今回の作品に関しては、自分が一番気になる所というのが、人と接した時に感じる、自分の中のモヤモヤした感じとか、普段何かを自分がしている時に感じる感覚とか、そういう感覚が気になるのですが、それらの感覚にぴったり当てはまる言葉が思いつかなかったので、「こういうシチュエーションで私が感じる『感覚』ですが、わかりますかね?」という提案に近い感じです。
長内:その感覚を一言で言い表せる言葉があればそうするけれど、それがないのでこういう形になったと。
原田:自分には今は技術的にちょっと難しいので「この作品はこういう感じから来ています」というのを、自分なりに端的に言い表しているつもりです。一言で言ってしまうと、逆に上手く伝わらないので。「プレゴミヤシキ」は母に見せるという目的がしっかりしているのですが、あとのふたつはモヤモヤしている状態から始まっているし、表現したいものもモヤモヤしたものなので、まだしっくり来ているのかはわからないのですが、こうなりました。
長内:では、「こういう状況に陥った時に感じる、自分が感じるあの嫌な気持ち」が、作品を見て想起されるということですね。みなさんも作品とタイトルの文章をご覧になって、同じ感覚を共有されましたか?
原田:よくずれてると言われます。
長内:そこがポイントですね。ファイルを見て頂くとわかるのですが、読んで納得出来るものと、逆に謎が増してしまうものがあって、実際に自分がまだ納得出来ていないものがありますが、ご本人の中ではつながっていますか?
原田:以前長内さんに、自分のコンセプトが書いてあるポートフォリオをお見せした時も、全然しっくり来ないって感じでしたね。その違いはなんだろうと思います。
長内:もちろん作品は自由に見ていいと思うので、作者の意図と受け手の感じ方が全然違うということはありえると思いますし、それがわかりやすくつながったからといって面白いということではないと思います。
原田:今、障害者の施設でボランティアをしていますが、自閉症の人たちを主に担当していて、こちらが伝えたいことが伝わっているかもわからないし、向こうが言うこともわからなくて。でも、たまに同じ反応があるかから伝わっているのかもしれないという、コミュニケーション自体が疑心暗鬼な状況です。「きっとこうだろう」と思っているのも自分だし、「相手がわかってくれた」と思っているのも自分であって、なんか結局自分でしかないというような感じになってしまいます。
長内:相手はいるけど、自分一人で納得してしまっているのではないかということですよね。
原田:そういう時のモヤモヤがタイトルになっているのかもしれないです。はっきりはしないですが。
海老原:そのモヤモヤはコミュニケーションを通じて出て来るものですか?
原田:そうですね。コミュニケーションがとれていないというか、とれていると思い込ませていたという感じです。ある時、40歳くらいの障害者の方の、70歳くらいの親御さんが来て、「うちの子、今はぐるぐる書きしかしないんです。昔は点々でしたが、高校生くらいからぐるぐる書きになりました。いまだにうちの子が何を考えてるかわからないんです。」と仰って。それがすごい衝撃でした。40年も向き合ってる人が、未だに息子がわからない位置にいるというのが衝撃で。コミュニケーションの手段として、ベタに伝わる手段じゃなくても、ひょっとして他にも相手に伝わる手段があるのではないかと。ちょっとまわりくどいですが、言葉ではなくて自分が何かをした時に、自分が思っているモヤモヤが相手に伝わるかもしれないと。実験というか感覚ですね。
長内:それは望んで分かり合いたいという目的があるわけでもない? いつか分かり合いたいとか? 分かり合うということさえももしかしたら独りよがりなんじゃないかとか。
原田:それもありますが、納得してほしいなと。親子でわからないというのも悲しいので。わからないというのも多いとは思いますが。
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長内:今回、お二人は初対面ですが、実際やってみてどうでしたか? 企画者側として一度お聞きしてみたかったのですが。
原田:私の作品は音が出るのですが、海老原さんの映像の音に関して考えていなくて、実際展示した時にお互いの作品の音がつぶし合ってしまって。でも逆にそれが面白いと思って。展示としては壊れてしまいますが、工夫すると面白くなるのではないかと。だから自分では面白がっていた部分はあります。
長内:原田さんは音を気にしている作家だと思います。例えば換気扇の映像作品でも息を吹きかけている音の他にわざわざ「タッタッタッ」という声が入っていますが、音に関してはどう捉えていますか?
原田:音はものを見た時に自分の頭の中で思考したことをさらに具現化したり、イメージしたりするものです。作品としては映像だけでも成り立ちますが、それをもう少し具体的に限定するものというイメージがあります。音をつけることによって、大勢に向けて「この作品はこうですよ」と言うのではなくて、個人的に作品の意図を耳打ちするような感じです。
長内:音って強いですよね。個人的には視覚よりも聴覚の方が人の中に入っていくと思います。歌を歌う人もアーティストと言いますが、どうも歌を歌う人の方が世間一般に受け入れられやすいのもそういうところから来ているのかもしれないと。音はすんなり入って来ますからね。
海老原:さっき、鑑賞者や空間自体を包み込んでしまうような平面作品の魅力について話しましたが、音にはもっと単純にそういった効果があると思っています。状況次第で逆に無音にすることで生まれる効果もあるかとも思います。
長内:今回の展示は、視覚的には場所を分けているので問題ありませんが、音に関しては海老原さんの作品も音が流れていて、原田さんの作品もセンサーに触れると音が鳴り出すので、つぶし合うという形になってしまいますが、逆に音を意識して、自分が聴きたい音に集中できるということもあるのではないかと思います。それ以外に何かやりづらかったこと、やってよかったことなどありますか?
海老原:最初、原田さんのゴミヤシキの作品を見た時に、コンセプト自体がモヤモヤしているから仕方ないですが、「なんでこんなの?」と思いました。
長内:すごいダメ出し発言が!
原田:ああ、そうだったんですか。
長内:これのどこがアートなの、みたいな?(笑)
海老原:いや、そこまでは。(笑)最初、ゴミヤシキの作品の方でも「あー」って声がするようになるという話でしたが、扇風機の作品と一緒なのにと思って。でもその後、コンセプトを聞いてやっと飲み込めるようになってきました。
原田:どういう作品になるのか結構聞いてましたよね。その時は自分でもまだモヤモヤしていてちゃんと答えられなくて。
海老原:お母様の要素がプランの中のどこにも見つけられなくて。扉を開けてみるとわかりますが、ものすごい臭いんです。ドアを開けるというところから嫌だなと思っていて。
原田:すごいNGが出ましたね。
海老原:それでもすごくこだわって作っていたので「なんでだろう」ってずっと思ってたので、ツッコんでしまいました。でも面白くなったと思います。
原田:作家としてはどうかと思いますが、話しながら自分でも整理されて、モヤモヤしながらも作ったものが作品になっていて、そこには他者の影響がわかりやすく入って自分と他者の合作みたいになっています。今まで自分から発信することにこだわっていたので、自分が固まっていなかったことでモヤモヤしていたものが、人に話してみたら進んだという感じです。
長内:海老原さんも製作過程で人に話しますか?
海老原:私も話します。要所要所で他人を介入させる事で客観的に見やすくなるし、自分の記憶と人の記憶の間にあるようなものに視点をおいて作っているので、途中で他人に関わってもらわないとリアルなものが出来ないと思っています。むしろ関わってもらった方が面白いものが出来ます。
長内:原田さんは海老原さんと初めて展示をして、製作をする上で話してみてどうでしたか?
原田:話すことは重要だと思いました。
長内:普段学校で展示をする時は話さない?
原田:いや、話しますが、技術的なことが多くて、コンセプトに関しては話さないです。出来上がってから「こうだから」という話をする位で、技術的なことや事務的にその作業に何人必要かとかそういうことばかりで、実際に製作過程にある作品の核心については話さないです。
海老原:一年ドイツに留学していましたが、私が通っていた美術学校では週1回ミーティングがあって、作品の制作過程で作品のプレゼンをする規則がありました。芸大の授業では中間講評と最後の講評会があって二回話をする以外は、友達同士で話をするしかないので、制作過程で人にいろいろ言ってもらうというのはいいなと思いました。もちろんプレゼンに参加しない学生も多いのですが、参加する学生の方が作品の完成度がどんどんあがっていくという印象がありました。留学前までは私自身、一人で悶々としてなかなか進まないとか、どうしたらいいかわからない状態のまま作り続けていたことが多かったように思います。
原田:プレゼンをした時に、それに対するリアクションというのは生徒もしてくれますか?
海老原:生徒も含めみんなでディスカッションをします。
原田:そのアイディアに対して?
海老原:そのコンセプトで、どうしてそんなことをしているのかツッコまれたり。「なんでだろう」と立ち止まって考えるというメリットがあります。
長内:芸大で同じようなことはありますか?
海老原:ないです。
原田:僕らもないです。
長内:先生が言うくらい?
海老原、原田:そうですね。
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長内:この辺でみなさんから質問ありますか?
質問者1:タイトルが「円周率と最大公約数」となっていますが、それを付けた理由はなんですか?
長内:海老原さんの去年の個展の時にギャラリーの方が書かれた紹介文に「記憶の最大公約数」という言葉があって、それが象徴的だと思いました。生きている色んな人たちの中で、確かに一瞬だけそういう瞬間があるかもしれないと思ったら、すごいいい言葉だなと思って。もし海老原さんの作品をそういう言葉で例えるのならば、原田さんの作品をどう例えるか考えていた時に円周率という言葉が浮かんできて、延々と割り切れない数字がどこまでも限りなく続いてしまうみたいな、スパッといかないもどかしさとかそういうものを感じて、言葉をふたつ並べた時に私の中でぐっと来てしまったので。DMを入稿する前日に二人に送ったら、意外と気に入って頂いたという経緯です。
質問者1:作品の中で円周率が何か意義を持っているということではなくて?
長内:そういうことではありません。
質問者1:作品から受けた印象ということですか?
長内:はい。今日は間に合わなかったですが、なるべく早いうちに文章にまとめます。よかったらまた見に来て下さい。ありがとうございます。他に何かありますか?
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質問者2:こういうのやめようよと思うのですが。なぜこれがいいと思ったのですか?
長内:なぜ私が作品としていいと思ったかですか? こういうのやめようよという意味を教えてもらえますか?
質問者2:語り尽くされている感じがします。既製品を使ってずらして、日常から……みたいな発想なのかなと思いました。そういう感じではないですか?
長内:日常からっていうのはちょっと違うと思いますが。
質問者2:じゃあ僕みたいな人はどういうふうにこの作品を見たらいいですか?
長内:トークが始まってから来られたようですが、この作品はただ見るだけの作品ではないので。
質問者2:風が吹くとか、回るとかですか?
長内:回ったりもしますが、トークが終わった後に体験して頂いた方がいいと思います。
原田:センサーがついていて、そこに来ると反応するのですが、近づくとセンサーがはずれるので、止まってしまいます。僕は彫刻学科に通っていますが、何も語らずにそこにあるという状態を表すのが彫刻だと思います。僕は先程お話しした障害者の方とのやりとりで、「そこにある」というだけでは、こちらがどう考えているかも伝わらないので、物足りないと思うようになりました。今はむしろ人間のやりとりの方に興味があるので、人間とのやりとりを込めた作品を作りました。近づくと突き放されて、離れると扇風機が再び作動するという、見る人に合わせない状態が作品から発せられるというか。見せるという意味ではあまりよくないのかもしれませんが、今は人間同士のやりとりに興味があるので。
質問者2:扇風機でないとだめなんですか?
原田:扇風機は個人的なところから始まっていて、夏に「あー」ってやったのがきっかけです。そこは感覚的です。美術の歴史どうこうというより入り方はすごく感覚的です。
質問者2:数はこれだけないとだめなのですか?
原田:ある程度の量があった方がいいなと思います。一個でも言えると思いまが、一個ならご自宅の居間で同じ状態で体験して頂けますので。またあとでお話ししましょう。
質問者2:やめようよと思うのですが。
原田:どういう意味ですか?
質問者2:他にも同じような作品が既存しているように思いますが。
海老原:普段どんなお仕事をされているのですか?
質問者2:いわきでpartyというスペースのディレクションをしています。
原田:逆にどういうのだったらいいと思われます?
質問者2:今企画展示しているのはテンションについての展示です。
原田:テンションというのは緊張感という意味ですか?
質問者2:それも作品を見て頂かないとわかりませんが、それは今までにない感覚みたいなものをどう生産していくかみたいなことをやっています。
原田:いままでにない感覚というのはないと思います。人間はずっと人間の歴史でしかなくて、それを技術で見え方を変えているだけです。人間の感覚なんてずっと変わっていないですよ。生まれて来て、歳をとって死んで行くという。特別な人などいなくて、同じ感覚をだいたい共有していますが、それを相手に言うかどうかっていう違いでしかないと思います。
質問者2:明日まで展示していますので福島まで来て下さい。7日にトークもあります。
原田:はい。
質問者2:作品を見て頂いてから話しましょう。
長内:このトークが終わった後ぜひ話して下さい。あと今日はこのあとまだ企画が続きます。ビールやお湯割りもありますので、ご注文下さい。今日は原田さんのお知り合いの竹原さんがDJに合わせて詩吟を披露してくださるということなので、ぜひご覧になって下さい。これでトークは終わりますが、ゆっくりしていって下さい。ありがとうございました。
編集:脇屋佐起子