100424

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《オブジェ》再論
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<ゲスト>
林卓行(美術批評・現代芸術論/玉川大学芸術学部准教授)
冨井大裕(美術家)

■題材として、あるいは素材として、「日常性」を指向する作品が、1990年代以降現代美術のひとつのはっきりとした傾向となってから、ずいぶんと時がたちました。
■それらの作品はごく客観的に見て、つまり肯定的な意味でも否定的な意味でもなく、わたしには1910年代のヨーロッパで登場した新しい芸術ジャンル、《オブジェ》とそう遠くないところにあるように、思われます。しかし今回の一連の企画も含め、このところよく耳にするのは、それらを「彫刻」あるいは「造形」ということばで語る声です。
■もしかしたら《オブジェ》がそれらの作品には不適であると考えられたために、その用語を避け、かわりにある暫定的な枠組みとして、「彫刻」や「造形」が採用されているだけなのかもしれません。現代美術に特有のある種の戦略として、時代的にちかくにあって、どうにも陳腐に聞こえてしまう《オブジェ》との差異化をとにかく図らなければならない、ということなのかも。
■けれど、理由は同あれそうした「彫刻」や「造形」を言挙げする議論に耳を傾けるほどに、わたしには、そこで失われてゆくもののほうが気になってしまいます。つまり1990年代以降の立体作品を扱うのに、暫定的であれそれらの概念を使うことによって、その作品の大切な部分、それはそれらの作品にとってはごくあたりまえの部分だと思うのですが、それをわたしたちは見落としてしまうことになるのではないか、ということです。
■そして、さらにいえば、そうした概念の使用が批評の場所のみならず制作の場所に浸透することで、すぐれて「日常性」を指向する作者でさえもが、ときに「彫刻的」あるいは「造形的」な効果の探求に堕してしまう、いまやそんな例も増えてきているように思うのです。
■そこでこの機会に、ひとつの提案として、90年代以降の「日常性」指向の立体作品を、あらためて《オブジェ》の文脈に置きなおしてみたいと思います。さらにできればその余勢を借りて、90年代以降の作品が、たんに1910年代の《オブジェ》概念を踏襲・継承するばかりか、後者では萌芽にすぎなかったものが前者において全面的に開花しているという、ひとつの仮説も提示できれば、ともくろんでいます。

日時:2010年4月24日(土)19:00〜21:00 ※受付開始は18:30
会場:CAT'S CRADLE(アクセス
定員:25人(予約制) 参加費:1,000円(1ドリンク付き)

定員を超えましたので、予約受付は終了しました。ありがとうございます。(04/22 18:10)

【 プロフィール 】
林卓行|Takayuki Hayashi
1969年東京生まれ。美術批評・現代芸術論/玉川大学芸術学部准教授。著書に『アンディ・ウォーホル(西洋絵画の巨匠9)』(小学館、2006年)、共著に藤枝晃雄編『現代芸術論』(武蔵野美術大学出版局、2004年)ほか。
冨井大裕|Motohiro Tomii
1973年新潟県生まれ。東京都在住。1999年武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了。日用品の使用と原理的な彫刻の両立を試みる希有な作家として知られる。これまでに個展・グループ展多数。2009年、galleryαMにて「変成態—リアルな現代の物質性」に参加。2008年3月より、茨城県のアーカス・スタジオにて、個展「企画展=収蔵展」を作品が朽ちるその日まで開催中。



ツールとしての彫刻
■4月から、campにて彫刻にまつわるトークを5回にわたって行うことになった。彫刻と一口にいっても、日本で語られる彫刻と欧米で語られる彫刻には大きな齟齬がある。さらにはアジア圏、中南米などでも同じようなことがあるかもしれないし、細かく言えば、欧米圏のそれぞれの国でも違いは多岐にわたるだろう。
■今回のシリーズでは、日本で作品を作っている私が、彫刻を思い浮かべる際に脳裏に出てくるいくつかのセンテンスについて、(私が、そのセンテンスを思い浮かべる際にこれまた脳裏に浮かんでくる)気鋭の論者、専門家をお招きして語って頂く。予定しているゲストの方々には、すでにご了承は頂いているものの、皆、多忙をきわめており、出演の順番、及び詳細な題目が現段階では決定していない(1回目は近日中に告知)。ここでは、現段階での大まかな予定をお知らせするにとどめる。
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4月《彫刻ではない「何ものかの立体」についてー機能、操作》
5月《作品の組成について》
6月《彫刻の現実―重さ、大きさ、金額etc》
7月《彫刻の可能性ーひとりのアーティストを参照例として》
8月《これまでの「彫刻といわれたもの」から、これからの日本の彫刻を考える》
※順番は変更の可能性あり。詳細な予定は順次告知していく。
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■日本において、彫刻は旧態依然としたメディアではないが、崇高さや歴史をともなった様式でもない。現状、彫刻にこだわる作品を作ることが、今後の美術の新しい可能性を開くとも、また、これまでの美術の良き部分を継承することへの免罪府となるとも思えない。現今、日本に彫刻にこだわることを制作の核としている作品及び作家が多数いると思われるが、その中の大半は彫刻によりかかっているのみで、むしろ自らを育んだ大樹を枯渇への道に追い込んでいることに無自覚である。重要なことは「彫刻はただの彫刻である」ということを露呈し、受け入れ、その上で使いこなすことであろう。今回のトークが、ツールとしての彫刻の有効性を掘り起こす為の一助となることを期待している。

冨井大裕(美術家)